紫陽花の咲くころに

読書や映画鑑賞の記録など、つらつらと。

政治の本質

 17日の夜に、トルコでクーデタが発生しました。結果を申し上げれば、クーデタは失敗に終わり、軍人3000人・司法関係者3000人の合わせて6000人ほどの「反体制派」が拘束されました。

 初めに言い訳をしてしまうと、私は中東政治に関して何も知らない素人です。その立ち場からすると、偉そうなことはそうそう言えません。

 しかし、あえてここで論じるとすれば、今回の一連の出来事は、政治という営みが基本的には生々しくも激しい権力闘争であることを表しています。

 クーデタは、大統領の居場所を把握していないなど、反乱軍の計画の稚拙さもさることながら、結果的にエルドラン体制の強化をもたらすことにつながりそうです。

 トルコ軍は「建国の父」ケマル・アタチュルク以来の国是である「世俗主義」の守護者を自任しているようですが、今回の出来事はトルコ国民におけるイスラムへの信用をますます増大させるのではないでしょうか。

 エルドラン大統領は反体制派を次々と拘束し、死刑制度の復活も検討するほどの厳しい対応を示唆しています。今回のクーデタ未遂を、反体制派粛清の好機と考えていることは明らかでしょう。

 民主主義に基づいて選ばれた元首の名のもとに、クーデタを鎮圧したエルドラン政権ですが、今後の国家運営において非民主的な活動が予測されるとはなんという皮肉でしょう。

 西洋の生みだした民主主義は、基本的にキリスト教圏で成長してきたシステムです。少なくとも近代民主主義とキリスト教圏以外の地域での両立を、考え直す必要はあると思われます。