紫陽花の咲くころに

読書や映画鑑賞の記録など、つらつらと。

民意

 6月24日に行われた英国のEU離脱の是非を問う国民投票。僅差で離脱支持派が勝利しましたが、早くも結果を後悔する声が上がっているようです。

 

 多くの専門家が、僅差でEUに残留することを予想していたにもかかわらず、離脱という結果になってしまいました。

 英国社会に渦巻いていた不満は、専門家の予想を裏切ることとなり、民主主義の恐ろしさを垣間見たような気がしました。

同時に、エリート主導で進められてきた欧州統合に対する大衆の反逆でもありました。

 

民主主義で決めたことはすべて正しい。私たちは義務教育や高校の授業でこう学びました。しかし、これは民主主義が必ずしも最適解を導きだすことを保証したものではなく、権力を行使する条件として、すべての有権者に、選択する機会を与えることは正しいということでした。

 

「なぜ、私たちの生活は安定しないのか」

「こんなにも頑張っているのに、なぜ報われないのか」

「雇用が奪われたのは移民や難民のせいだ」

 

 このような声が、英国やEUのみならず、世界中から聞こえるような気がします。当たり前のことですが、就職率の低下や景気の悪化は、国民の生存に直結しております。景気の悪化は様々な要因によるものですが、外部からの流入者がいなければ自分たちの雇用は守られたという言説に、ある程度の説得力はあるかもしれません。少なくとも明らかなのは、他者に思いをはせるほどの余裕を失っていることです。

 

 職業政治家に対する信用と権威の低下は、代議制への信用も失墜させることになりました。

 自らの生存のために、自らの行く末を決めることのできる政治を取り戻そう。その結果、たどり着いた国民投票であり住民投票なのです。

 

 日本でも、憲法改正を推し進めたい、一部の政治家の間で、「最終的には国民投票で決めるのだからよいのだ」という主張がなされています。たしかにそのとおりと言えます。しかし多くの国民は、憲法の専門家ではなく、普段、政治に関心のない人々なのです。素人に重機を用いた作業を行わせる危険性は誰でもわかることです。

 

 民意がすべて正しいのでしょうか?

 

 民意を背景に間違った選択が行われたことは多くあります。民主主義に代わりうる、新たな統治体制が存在しない以上、私たちは民主主義が少しでも、正常に機能することを望むしかありません。