紫陽花の咲くころに

読書や映画鑑賞の記録など、つらつらと。

英国(イギリス)のEU離脱国民投票

 6月24日、英国において、EUからの離脱に関する国民投票が行われました。事前の予想では、多くの専門家が僅差で残留することを予想しておりましたが、結果はすでにご存じのとおり、僅差で「離脱」ということになりました。

 残留支持は48.1%、投票率は72.2%と誤差の範囲も考えられるような結果であり、離脱が大きな支持を受けているとは言えない結果となりました。

 

 

 注目すべきは、世代別の投票結果です。18歳から49歳までの若者・中堅層は残留支持派が多数です。ところが、50歳以降になると離脱支持派が多数になっております。

 離脱支持の中でも最も「leave」を投じた65歳以上の層は、英国がECに加盟した1973年の時に10代でした。いわば、思春期以降の人生を、「ヨーロッパの中の英国」として過ごしてきた層になります。

 一方、残留を支持した20代前後は、生まれる前から「ヨーロッパの中の英国」で過ごしてきました。一見すると人生の大半を、「ヨーロッパの中の英国」で過ごしてきた両者に大きな違いはないように思います。

 ではいったい何がこの両者の間に亀裂をもたらしたのでしょうか。

 経済学や政治学の知識が乏しい私が思い出したのは、「鉄の女」ことマーガレット・サッチャー(保守党)の存在でした。

 

 

 サッチャーは、1979年に労働党から政権を奪取、その後10年以上の長期政権を維持した英国の女性政治家です。

 当初、保守党の幹部たちは本格政権までの繋ぎとして、サッチャーを選びました。労働党政権の下でストライキが頻発し、1979年5月の総選挙は敵失で勝利したようなものでした。しかし、1982年の「フォークランド紛争」を契機に「社会主義との戦い」や「妥協しない政治」をかかげ、「偉大な英国」を体現したような政治家として成長していきました。

 今回の国民投票で離脱を強烈に支持していた層には、このサッチャー時代に青年期を過ごしている世代が多いのではないかと思います。

 

 

 サッチャーはEC領域内の市場自由化に強く賛成していましたが、人の移動自由化には反対していました。今回の離脱支持派の大きな主張として、増え続ける難民や移民への不満がありました。自分が職に就けないのは大陸からやってくる移民や中東からの難民に雇用が奪われている。EUから離脱し、かつての「偉大な英国」を取り戻さなければ、と…。

 

 

 サッチャーを現実の存在としてとらえていた世代にとっては、彼女は英雄であると同時に、英国王室を別格としながらも「英国の象徴」でありました。しかし、もっとも残留支持が多かった18歳‐24歳の若者にとって、彼女は歴史上の人物であり、新自由主義と格差拡大の元凶で尊敬すべき対象ではなかったのかもしれません。

 

 

 思い出というものはだいたい美化されるものです。国民投票という熱狂の下で、英国の人々はミラージュ(幻)を見せられた。これが現実ではないでしょうか。

 

 今後の流れは不透明なことが多く、どうなることかわかりません。

 離脱を支持していない若者たちは、今後の人生の多くを、ヨーロッパから距離をおいた英国の中で過ごさなければなりません。離脱を支持した世代は自分たちより先に、「かつての栄光」を胸に抱いて亡くなっていく。この、やり場のない新たな不満をどのように和らげていくのか。また、国民投票によって生じた亀裂を、どのように修復していくのか。今後もしばらくは英国から目を離すことができません。